アカリの車。 サプレッサーを作り終えたディミトリはアカリに向かえに来てもらった。 これからアオイが閉じ込められている船を調べる為だ。車を走らせながらアカリに色々と聞き出しす。「どこの港に連れて行かれるか聞いた?」「いいえ」 車に強制的に乗せられて、直ぐにディミトリが追いかけたので詳しい話は出来なかったそうだ。 ただ、彼らがアオイと確保している事と、中学生の男の子を誘い出して欲しいとだけ言われたようだ。 彼らは只の使い走りのようで、若松忠恭の顔を知らなかったのは幸いだった。「じゃあ、車の中の様子で覚えていること無いかな?」「そう言えば、カーナビに臨海港って表示されていた」 メールか何かでアカリの居場所を教えられて、彼らはカーナビ頼りに走っていたのだろうと考えた。「ん? そう言えば奴らはアカリさんの顔を知ってたんだよね?」「ええ、スマートフォンに私の画像が有りました……」 見せられたのは、自分の画像とアオイの画像だったそうだ。「しかし、臨海港って言っても大きいよなあ……」 ディミトリたちは船であるとしか知らない。他には、相手がロシア系であるぐらいだ。「入港したばかりみたいな話をしてた」「ふむ、日付で検索してみれば良いか……」 ディミトリは携帯で船の入港情報を探り始めた。何か、手がかりが欲しかったのだ。「これかな…… 名前がそれっぽい……」 ディミトリが指差す先には『ナホトカ・モロモフ』とあった。とりあえずは見に行って見ることにした。 本来なら一週間ぐらいは観察をして、人数ぐらいは把握したかったが時間が無い。 アオイが人質にされているせいだ。「キプロス船籍で石炭運搬船とあるな……」 ディミトリは画面を見ながらブツブツ言っている。他にも船はあったが全体的に小さめの船ばかりだ。 きっと、外洋を渡るので大きい船だろう。「とりあえずはコイツに忍び込むか……」 ダメ元で乗り込むつもりだった。「ちょっと、寄り道してもらっても良いなかな?」「良いけど、何するの?」「ちょっと、お買い物……」 まず、釣具店に行きゴムボートを購入した。長さが二メートル程度で二人乗り。手漕ぎだが大した距離を漕ぐ訳では無いので平気だ。 目的の船にはロシア系の連中がいる。そして、彼らはディミトリが訪問するのも知っている。 大人しく入れてくれる訳が
モロモフ号。 ディミトリは船の後方にボートを付けた。係留ロープを結びつける場所がないので、ロープの先に磁石を付けて船に貼り付けた。 これでボートは行方不明にならないはずだ。 それから、吸盤を取り出し船を登り始めた。 まず、右手側を貼り付けて、それを手がかりに左手側を上に貼り付ける。右手側を緩めて左手を手がかりにして上に貼り付ける。 そうやって、交互に貼り付ける事によってよじ登っていくのだ。手の力だけなので結構しんどいものがある。 それでも、何とか登りきって船の舷側から甲板に降り立った。 ディミトリは懐から拳銃を取り出した。警戒したままで、ゆっくりと歩きながら入り口に向かう。 ここで、見つかれば道に迷ったなどと言い訳が効かないからだ。 出発前に見かけた船の見張りは反対側にいるのか見当たらなかった。つまり、常時警戒しているのは一人ということだろう。 最低でも二人は見張りに付くものだと思っていただけに拍子抜けした。 船の中に素早く入ったディミトリは奥に進んでいく。遠くの方で話し声が聞こえるだけで、後は何かの振動音がするだけだ。 今の所、船が侵入されたなどと誰も気付いていないようだ。手短に船内を見て回るつもりだった。 人の声がしていたのは食堂と思われる部屋だ。灯りが点いているので何人かいるらしかった。 ディミトリが入り口の傍によると、中からロシア語の会話が聞こえてきた。『日本のカイジョウホアンチョウの検査は終わったんだろ?』『ああ、連中は気が付かなかったぜ』『じゃあ、さっさと荷物を受け渡してしまおうぜ』『連中に悟られ無いで助かったな……』『ああ、まさかブツを船底に貼り付けて運んでるとは思わないもんさ』(ふん、ソコビキって取引のやり方か……) ロシアの留置場に入れられた時に、隣の房に居た薬の売人に運搬方法を聞いたことがある。その一つに『ソコビキ』と言うやり方にそっくりだった。方法は簡単で薬なり銃器なりを防水箱に入れ、船の底に溶接してしまうのだ。見た目はスタビライザーに見えてしまうので誤魔化しやすいそうだ。(くそっ、ひょっとして違う船だったのか?) 彼らが話していたのは違法薬物か何かの取引らしい会話だった。興味が無いので他の部屋を探しに行こうとした。『ところで例の女はどうしてるんだ?』 中に居る一人が話し始めた。ディミトリ
モロモフ号。 船室の外に居た見張りは壁にもたれ掛かるように倒れている。その頭からは血が流れていた。 不意に少年が現れて問答無用で撃ってきた。声を上げる暇すらなかったようだ。彼は驚愕した表情のままだった。「若森くん……」 アオイは突然の登場にビックリしながらも、見慣れた顔の登場に安堵のため息を漏らした。「ちょっと、足を持ってくれるかな?」 ディミトリが手招きしてる。「?」 アオイが近づいて廊下を見ると見張りが倒れている。頭から血を流している所を見て、アオイは射殺されたのだと理解した。「顔が腫れているけど殴られたの?」 アオイの左頬が腫れているので聞いてみた。「うん、大声出して助けを呼んでたら殴られた」「女でもお構いなしかよ。 ヒデェ連中だな……」 ディミトリは見張りが持っていた拳銃を眺めながら呟いた。「連中は俺の事を探してるんだって?」「ええ、ロシア人が貴方の事をしつこく聞いてきた」 見張りの死体を運びながらそんな会話をする二人。アオイも死体を見たぐらいでは驚かなくなっている。 アオイも死が身近にある職業だとはいえ、慣れていく自分にどんよりとした気分になっていくのを感じている。「何、やったの?」 アオイが足を持ちディミトリが頭を持って死体を部屋の中に入れた。「ロシア人の母親とヤッたんだよ」「馬鹿……」 ディミトリはアオイに小突かれてしまった。彼女は下品なジョークが嫌いなようだ。 次にテーブルクロスで廊下の血痕を拭い去り、部屋を閉めて出ていこうとした。「ちょっとだけ待って……」 ディミトリは鍵を掛けてから、鍵を根本から折ってあげた。こうすると、室内に入ることが出来ない。本当は瞬間接着剤ぐらいで固定した方が良いのだがしょうがない。 アオイが部屋に居ない事は直ぐに露見してしまうだろう。少しでも時間を稼ぐ為の小細工だ。「まあ、お互いに聞きたいことは山程あるだろうけど……」 まず、何故引っ越したのか問い詰めたかったが、先に逃げ出すのが先だ。 敵の人数すら分からないのに彷徨くのは流石に拙い。金の行方は後で聞けば良いとディミトリは考えたのだ。「?」「とりあえず、逃げ出そうか?」 ディミトリが先に歩き、アオイは彼の後ろを付いて行った。「どうやって逃げるの?」「この船の傍にゴムボートを繋いである」「え?」「舷門(
モロモフ号の甲板の上。 ディミトリはアオイの言った『取引に使うお金』に魅入られていた。「いやいやいやいやいや、駄目だ」 ディミトリが首を振りながら否定した。 確かにここで多額の現金を手に入れるのは魅力的だ。だが、アオイを守りながら戦闘するのは、余りにも分が悪すぎる。 確実に金になる戦闘しかディミトリはやらない。(やっぱり駄目か……) アオイとしては、船底に閉じ込められている子供を助ける事で、贖罪を果たしたかったのかも知れない。 だが、肝心の少年が腰が引けている以上は諦めるしか無いかと思った。「じゃあ、私はゴムボートで待っていれば良いのね?」「いや、近くにアカリさんが待っているから、彼女と合流していて欲しい……」「え? アカリが居るの?」「ああ、どうやって君が居る船に辿り着いたと思ってるの」「あっ、そうか」「この携帯で連絡を取って待っていて欲しい。 あの桟橋を回り込めば陸に上がれる階段が有るから……」「うん、分かった……」 アオイは縄梯子をそろそろと降り始めた。ディミトリは上から降りていくアオイを見ている。キンッ 船の手すりを金属製の何かが掠める音がした。間違いなく銃弾だ。(銃撃!) ディミトリは咄嗟に撃ち返した。発射音は聞こえなかった。恐らく見張りに見つかってしまったのだろう。「見つかった!」「え、え、ええ……」 アオイはまだ縄梯子の半ば辺りだ。降り終わるのにまだ少し時間がかかる。 ディミトリは姿が見えない敵に銃弾を送り込んだ。 命中させることが目的では無い。アオイがゴムボートに乗るまでの時間稼ぎのためだ。(敵もサプレッサーを使っているのか……) その時、埠頭に灯りが倒れていく男を映し出した。紛れ当たりを引いたようだ。(俺も使ってるぐらいだから当然だわな) ディミトリは男に近寄っていく。死んだかどうかを確かめるためだ。(角度から考えると船の壁で跳弾したのが当たったのか……) 傍によると男は首から血を流して死んでいる。当たった場所から考えると跳弾であろうと思われたのだ。 ディミトリは男の銃と予備の弾倉を取り上げて眺めた。(トカレフか……) 無いよりはマシかと懐にしまった時に、海の方からアオイの悲鳴が聞こえた。「きゃあっ!」 ディミトリが慌てて駆けつけると、上のデッキからゴムボートに向かって銃を撃
(出てきた……) 銃撃戦となったら、物を言うのは弾幕だ。サブマシンガンを持っていない以上は両手に持った拳銃で戦うしか無い。 先頭の一人は拳銃を持っているのが見えた。(はいはい、チャイカの仲間なのは決定……) ひょっとしたら無関係な船員もいるかもしれないと思っていたが安心して殺せそうだ。 ディミトリは満面の笑みを浮かべて両手の拳銃から弾丸を送り込んでやった。 気分良く撃っていると頬を何かが掠めた。銃弾だ。後ろにも回り込まれてしまったのだ。 ディミトリは右手は出口、左手ではデッキの後方を撃ち出した。 やがて、左手に持ったトカレフの銃弾が尽きた。マガジンを交換している空きは無い。ディミトリは迷うこと無く銃を捨てた。 そして、右手の銃を懐にしまうと、下のデッキに移ろうとして飛び降りたのだ。「うわっと!」 ところが、デッキの下のデッキの手すりを掴みそこねて更に落下してしまった。「おっと……」 舷窓の枠に捕まる事に成功した。そして、腰にぶら下げておいた吸盤を張り付けた。 指先だけで窓枠に捕まるより楽なのだ。 そのまま海の中に逃げても良かったが、自分が泳ぐ速度より陸上を移動される方が早いに決まっている。(もう少し時間を稼ぐ……) ディミトリは窓に向かって銃を撃った。しかし、期待したような割れ方をしなかった。 窓ガラスを銃で撃つが穴が空くだけだった。荒れ狂う波風に耐えることが出来るようにガラスが頑丈なのだ。「くそっ、なんて頑丈に出来てやがるんだ!」 穴の開いた窓を蹴飛ばしながら怒鳴った。 ディミトリは窓の鍵があると思われる部分に、銃弾を集中して浴びせ腕が入る隙間を作り出した。 その間にも、ビシッビシッと銃弾が降り注ぐ音が通り過ぎていく。停泊しているとはいえ、波による揺れは多少はある。 彼らでは薄暗い背景に溶け込むような衣装のディミトリを撃ち取れないようだった。(よしっ! 開いた) 窓の鍵を開けて室内に潜入するのに成功した。(小柄な身体が役に立ったぜ……) 室内に降り立ったディミトリは立ち上がって見渡した。上下二段のベッドが並んでいる。船員用の寝室のようだ。 すると、一つのベッドで誰かが起き上がって来た。 室内に居たのは船員だった。ベッドの上で両手を上げて固まっている。 窓が割れたかと思うと男が入ってきたのでビックリしたら
故障したボイラーを二重構造にして、薬の密輸をしていた組織を強襲した事を思い出したのだ。 あの時には中に人間も入っていてビックリしたものだ。『それならひとつ下の甲板にあるが……』『赤毛のロシア人が出入りしていたか?』『そこまでは分からない…… 彼らに近づかないようにしていたからな』『それは賢い判断だ。 ありがとう……』 部屋を出ていこうとして、ディミトリは振り返った。『静かになるまで外に出ない方が良いぞ』『ああ、慣れているさ』 ロナルドはそう言って片目を瞑った。 部屋を出て扉を閉めると、上のデッキで走り回る音が聞こえていた。ディミトリを探しているのであろう。 船員の話を聞いたディミトリは金の探索は諦めた。探す所が多すぎる。アオイがゴムボートで逃げる時間を稼いだら、さっさと逃げ出そうと決めたようだ。 ディミトリは廊下を走って階段に近づこうとした。すると階段を降りてくる音が聞こえて来た。(ちっ、機関室に隠れるか……) 階段を昇るのを諦めて下に降りていった。そして、廊下伝いに開いているドアを探し回った。隠れるためだ。 すると、突き当りのドアが開いていたので、滑り込むように中に入っていった。 その部屋には灯りが一つだけ点いていた。そして灯りの中央に椅子があり、元は男だったと思われる死体があった。 男の遺体は手足を椅子に縛られたまま放置されている。 裸体を見ると所々が削がれており、手足の指先には釘の様な物が差し込まれた跡が見える。激しい苦痛と恐怖と絶望を経験した後に死んだのは間違いないだろう。 その表情には死ぬことで開放される喜びを表していたのだ。(相変わらず拷問を楽しんでやがるな……) ディミトリは誰の仕業か直ぐに理解できた。チャイカだ。彼はGRU仕込みの拷問を行う事を得意としていた。 相手は誰だろうかと一瞬思ったが、人種が黄色い奴ぐらいしか分からなかった。梵字の入れ墨が有ったからだ。(まあ、得意というより興奮するんだろうな……) 中々いけ好かない性癖だが、戦場で人の死に接していると何かが外れてしまう事も知っている。 きっと自分もその一人なのだと、分かっているディミトリには彼の事を責める気にはなれない。 それに、普段の彼は愉快で明るい奴なのだ。(……まてよ……) そして、ディミトリはある事に気が付いた。 チャイカは
『何だ? 俺を見ると左目が疼くのか?』「……」 ディミトリの戦友であり本体が死ぬ原因になった男だ。 ユーリイ・チャイコーフスキイ。愛称がチャイカ。左手の指が全て拷問で切り取られている。 前の身体の時には、彼を助けるために左目を失うというハンデも負ってしまった。『まあ、あの時にお前が助けてくれなかったら、俺は死んでいたろうがな……』「……」 ディミトリは怒りに満ちた目で彼を睨みつけていた。だが、銃は構えたままだ。 撃てないのはチャイカの後ろの男たちが、カラシニコフを構えているのが見えるからだ。『昔話はこの辺で良いだろう……』「……」 ディミトリが何も言わずにいると、チャイカは少しだけ肩を竦めた。『お互いにベテランの傭兵だ。 ビジネスの話をしようじゃないか』 チャイカはベラベラと旧知の友人に話しかける感じで喋っている。 多分、コカインをキメているのであろう。彼は薬物依存でGRUを首になっている。『何。 話は簡単だ……』「ソイツは何の話をしているんだ?」 ディミトリがチャイカの話を遮って周りに話し掛けた。「誰か通訳してくれよ……」 銃はチャイカに照準したままだ。チャイカ以外の男たちは顔を見合わせていた。 確かに部屋の中央で日本人の少年が銃を構えているだけだ。 最初に聞いた話では、チャイカの元同僚のロシア人傭兵だったのだ。『コイツはロシア語が出来ないみたいですぜ?』 部下の一人と思われる男がチャイカに進言している。ディミトリは分からない振りを続けていた。 アオイの話では通訳をする男が居たと言っていた。コイツがそうなのであろう。『騙されるな…… コイツは間違いなくディミトリ・ゴヴァノフだ』「俺を逃してくれれば、船の底に隠してある麻薬の事は警察には言わないでおくよ」 切り札を使うのは気が引けるが、まだ駆け引きが出来るか試してみることにした。「十五分以内に船から脱出出来ない時には警察に通報するように女に頼んである……」 もちろん嘘だ。そんな打ち合わせをする暇は無かった。だが、ここに居る男たちは知らない事だ。 するとチャイカ以外の男たちの眼付が変わった。『耳を貸すんじゃない。 ソイツは俺と同じくらいの嘘付きだ』 チャイカ以外の男が思わず笑い出した。『俺には子供にしか見えないんですが……』『それは見かけだけだ……
モロモフ号。 ディミトリは銃を構えたまま、男たちと睨み合っていた。チャイカの他にAK-47を構えたのが二人居た。 AK-47とは旧ソ連で開発された自動小銃。どんなに悪辣な環境であろうと弾が出る傑作品だ。唯一の問題点は、的に当たらないことぐらいだ。 世界中で模造品が製造されている。彼らが構えているの、その一つだろうとディミトリは思った。「……」 一方、脅された当事者であるチャイカは平気な顔をして泰然としている。何か秘策が有るのであろう。『船の底に隠した麻薬なんて無いよ』 そう言ってチャイカは笑った。どうやら麻薬取引は既に終了しているらしい。『お前がシリアマフィアから掻っ攫った金を返しな』「!」 瞬間。ディミトリの中で失われていた記憶が蘇る。ノートパソコンの画面が浮かんできたのだ。 そう。ディミトリは最後の瞬間まで金の転送作業をしていたのだ。金はもちろん麻薬取引の金だ。 それから、自分の口座の金額がモリモリ増えていくの眺めている記憶も思い出した。(それで狙われていたのか……) 中国人にしろロシア人にしろ、危険を侵してまで自分を追いかけ回す理由が分かった。 麻薬取引であれば結構な金額に成る筈だからだ。『あれは俺の物なんだよ』 そう言えば、事前に金に関する事を言ってきたのはチャイカだった。ノートパソコンへのアクセスの仕方と振込先の口座も彼が教えてくれた。 だが、ディミトリが振込先を勝手に変更したので計画が狂ったようだった。『折角、お膳立てしたのに、お前さんが全部パアにしやがった……』(やはり、あの爆発はお前が仕掛けた物だったのか……) ディミトリが覚えているのは、爆炎が迫ってくる光景の中で逃げようとする仲間たちだ。 自分を吹き飛ばした爆風が収まった時に、自分を見ろしている人物が居たのは覚えている。 それがチャイカだったのであろう。「なんだ…… 拷問でもするのか? 知らないものは答えようがないだろう?」 ディミトリがふてぶてしく答えた。 通訳が翻訳し終えると、チャイカは笑い声をだした。想定済みだったのであろう。『ははは、お前が拷問に慣れているのは知っている』 実際は、ちょっと痛い思いをすると気絶してしまうが、彼は知らないようだった。 最近はイメージトレーニングで凌げるようになったとは言え万能では無い。今の状況では拷問
自宅にて。 ディミトリは剣崎と連絡を取る事にした。「むぅーー……」 ディミトリは机の引き出しに放り込んでおいたクシャクシャにした名刺を広げながら唸っていた。 あの男から有利な条件を引き出す交渉方法を考えていたのだ。(ヤツは俺がディミトリだと知っているんだよな……) それどころか邪魔者を次々と処分したのも知っているはずだ。なのに、逮捕して立件しようとしないのが不気味だった。(金にも興味無さそうだし……) 金に無頓着な人種もいるが稀有な存在だ。自分の身の回りには意地汚いのしか寄って来ないので都市伝説ではないかと疑っているぐらいだ。「ふぅ……」 ディミトリは考えるのを諦めて、携帯電話に電話番号を入力した。 剣崎は電話が来ることを予見していたのか、直ぐに電話に出たきた。『やあ、そろそろ電話が来る頃だと思っていたよ』 相変わらずの鼻で括ったような物言いだった。ディミトリは携帯電話から耳を離し、無言で携帯電話を睨みつけた。「ああ、そうかい。 少し逢って話をしたいんだが……」 気を取り直したディミトリは挨拶もせずに用件を伝えた。『別に構わないよ。 何処が良いんだね?』「デカントマートの駐車場はどうだい?」『ふむ。 いざと成れば手軽に行方を眩ませることが出来るナイスな選択だね』「人目が有った方がお互い安全だろ?」『アオイくんを迎えにやるよ』「分かった」『アオイくんは私の命令で見張りに付いていたんだ。 殺さんでくれたまえ』「分かったよ…… 家の前で待っている」 自宅の前で待っていると、車でアオイが迎えに来た。 ディミトリは後部座席に座り、自分の鞄から反射フィルムを取り出した。これは窓に貼るだけでマジックミラーのようになるものだ。 貼っておけば狙撃者
「この後。 ホームセンターに行ってくれ」「良いですよ。 何か買うんですか?」「灯油を入れるポリタンクを買いたいんだよ」「分かりました」 ホームセンターに行き灯油用ポリタンクを十個程手に入れた。それと一緒にオリーブグリーンのビニールシートも購入した。 それと血痕を掃除する洗剤なども買った。「何に使うんですか?」「灯油を入れるポリタンクって言ったろ……」 ディミトリたちは、そのまま複数の給油所に行き、次々と灯油を購入していった。 一箇所だと怪しまれるのでポリタンクの数分だけ給油所を回っていった。「同じとこで入れれば時間の節約になるでしょう」「一箇所で大量に灯油を購入すると怪しまれるだろ?」「そう言えばそうですね……」「何事も慎重に行動するんだよ」「……」「アンタは何も考えずに行動するから面倒事になっちまうんだ」「はい……」 田口兄は訳も分からずに手伝っていた。ディミトリは買って来た灯油はヘリコプターに積み込む予定だ。 あたり前のことだがヘリコプターを飛ばすには燃料が要る。 本来ならジェット燃料がほしかったが、個人でジェット燃料など購入することは結構難しい。一般的に使われる類いの燃料では無いので売って貰えないのだ。 そこで代替燃料として灯油に目を付けたのであった。本当は軽油が良かったが、ポリタンクで軽油を購入するのは目立つのでやめた。 基本的にジェット燃料と灯油や軽油の成分は一緒だ。違うのは含水率と添加剤の有無だ。 もちろん、正規の物では無いのでエンジンが駄目になってしまう可能性が高い。それでも手に入れておく必要があった。(剣崎の野郎と会う必要が有るからな……) 何故ヘリコプターの燃料を心配しているかと言うと、近い内に公安警察の剣崎に会う必要が有るからだった。 相手の考えが読めないので、脱出手段の一
大通りの路上。 田口兄が車でやってきた。一人のようだ。「よお……」「どうも、迷惑掛けてすいません……」 ディミトリは憮然とした表情で挨拶をした。 田口兄は愛想笑いを浮かべながら、自分の問題を解決してくれたディミトリに感謝を口にしていた。「……」 ディミトリは田口兄の挨拶を無視して車に乗り込んでいった。「俺の家に帰る前に寄り道してくれ」「はい」 田口兄は素直に返事していた。年下にアレコレ指図されるのは気に入らないが、相手がディミトリでは聞かない訳にはいかない。 何より怒らせて得を得る相手では無いのを知っているからだ。「何処に向かえば良いですか?」「これから言う住所に行ってくれ……」 そこはチャイカたちが使っていた産業廃棄物処分場だ。 確認はしてないがそこにジャンの所からかっぱらったヘリが或るはず。その様子を確認したかったのだ。 処分場に向かう間も無言で考え事をしていた。田口兄はアレコレと他愛もない話をしているがディミトリに無視されていた。 やがて、目的の場所に到着する。山間にある場所なので人気など無い。道路脇に唐突に塀が有るだけなので街灯も何も無かった。 産業廃棄物処分場の入り口には南京錠が取り付けられている。ディミトリは中の様子を伺うが人の気配は無いようだった。「なあ…… ワイヤーカッターって積んである?」 きっと泥棒の道具として、車に積んでいる可能性が高いと考えていた。「ありますよ。 コイツを壊すんですか?」「やってくれ」 田口兄はディミトリに初めてお願いされて、喜んでワイヤーカッターで南京錠を壊してくれた。 後で違う奴に付け替えてしまえば多分大丈夫と考えていた。 中に入るとヘリコプターは直ぐに分かった。ヘリコプターは処分場の中程にある広場のようになった真ん中に鎮
『はい……』「帰りの足が無くて往生してるんだ」『はい……』 ディミトリは電柱に貼られている住所を読み上げた。田口兄は十五分程でやってこれると言っていた。『あの連中は何か言ってましたか?』「ああ、鞄を返せとは言っていたが、それは気にしなくて良い」『どういう事ですか?』「話し合いの最中にバックに居る奴が出て来たんだよ」『ヤクザですか?』「そうだ」『……』「ソイツの組織と別件で前に揉めた事があってな……」『あ…… 何となく分かりました……』「ああ、かなり手痛い目に合わせてやったからな」『……』 ディミトリの言う手痛い目が何なのか察したのか田口兄は黙ってしまった。「俺の事を知った以上は関わり合いになりたいとは思わないだろうよ」『い、今から迎えに行きます』 田口兄はそう言うと電話を切ってしまった。 大通りに出たディミトリは、道路にあるガードレールに軽く腰を載せていた。考え事があるからだ。 帰宅の心配は無くなった。だが、違う心配事もある。(本当に諦めたかどうかを確認しないとな……) 追って来ない所を見ると諦めた可能性が高い。だが、助けを呼んでいる可能性もあるのだ。確かめないと後々面倒になる。 その方法を考えていた。(家に帰って銃を持って遊びに来るか…… いや、まてよ……) そんな物騒な事を考えていると、違う方法で確認出来る可能性に気が付いた。(剣崎が灰色狼に内通者を持っているかもしれん……) ディミトリの見立てでは剣崎は灰色狼に内通者を作っていたフシがある。 灰色狼は日本に外国製の麻薬を捌く為
隣町の路上。 店を出たディミトリは、大通りの方に向かって歩いていった。なるべく人通りが或る方に出たかったからだ。 彼らが追撃してくる可能性を考えての事だった。相手が戦意を失っている事はディミトリは知らなかった。だから、追撃の心配は要らなかった。 だが、違う問題に直面していた。(う~ん、どうやって家に帰ろうか……) 学校帰りに大串の家に寄っただけなので、手持ちの金は硬貨ぐらいしか持っていない。ここからだとバスを乗り継がないと帰れないので心許ないのだ。(迎えに来てもらうか……) そう考えたディミトリは、歩きながら大串に電話を掛けた。 まさか、バーベキューの串で車を乗っ取るわけにもいかないからだ。「そこに田口はまだ居るのか?」『ああ、どうした?』「田口の兄貴に俺に電話を掛けるように伝えてくれ」『構わないけど……』 大串が言い淀んでいた。気がかかりな事があるのは直ぐに察しが付いた。「田口の兄貴を付け回していた車の事なら、もう大丈夫だと言えば良い」『え!』「お前の家を出た所で、田口の兄貴を付け回してた連中に捕まっちまったんだよ」『お、俺らは関係ないぞ?』前回、騙して薬の売人に引き合わした事を思い出したのだろう。慌てた素振りで言い訳を電話口で喚いている。「ああ、分かってる。 連中もそう言っていた」『……』「きっと、見た目が大人しそうだから言うことを聞くとでも思ったんだろ」『無事なのか?』「俺が誰かに負けた所を見たことがあるのか?」『いや…… 相手……』「大丈夫。 紳士的に話し合いをしただけだから」『でも、それって……』「大丈夫。 今回は殺していない……」『&helli
「この通りだ……」 ワンは銃を机の上に置いた。そして、両手を開いて見せて来た。「なら、その銃を寄越せ……」 ワンは銃から弾倉を抜いて床に置き、足先で滑らせるように蹴ってきた。ディミトリはそれを靴で止めた。「アンタに弾の入った銃を渡すと皆殺しにするだろ?」(ほぉ、馬鹿じゃ無いんだ……) 彼の言う通り、銃を手にしたら全員を皆殺しにするつもりだった。 ワンはそれなりに修羅場をくぐっているようだ。 ディミトリは滑ってきた銃をソファーの下に蹴り込んだ。これで直ぐには銃を取り出せなくなるはずだ。「鶴ケ崎先生はどうなったんだ?」「おたくのボスに殺られちまったよ」「……」 どうやら、灰色狼は組織だって動いて無い様だ。誰が無事なのかが分かっていないようだ。「それでボスのジャンはどうなったんだ?」「さあね。 ヘリにしがみ付いていたのは知ってるが着陸した時には居なかった」「殺したのか?」「知らんよ。 東京湾を泳いでいるんじゃねぇか?」(ヘリのローターで二つに裂かれて死んだとは言えないわな……) 手下たちは額に汗が浮かび始めた。さっきまで脅しまくっていた小僧がとんでも無い奴だと理解しはじめたのだろう。「ロシア人がアンタを探していたぞ……」「ああ、奴の手下を皆殺しにしてやったからな…… また、来れば丁寧に歓迎してやるさ」 ディミトリは不敵な笑みを浮かべた。 ワンは少し肩をすぼめただけだった。どうやらチャイカと自分の関係を知らないらしい。「俺たちは金儲けがしたいだけだ。 アンタみたいに戦闘を楽しんだりはしないんだよ」「……」 やはり色々と誤解されているようだ。自分としては降りかかる火の粉を振り払っているだけなのだ。結果的に
ナイトクラブの事務所。 ディミトリは弱ってしまった。部屋に入ってきた男はジャンの部下だったのだ。そして、この連中はコイツの手下なのだろう。 折角、滞りなく帰宅できるはずだったのに厄介な事になりそうだ。(参ったな……) ディミトリは顔を伏せたが少し遅かったようだ。男と目が合った気がしたのだ。「お前……」 入ってきた男が何かを言いかけた。その瞬間にディミトリは、右袖に仕込んでおいたバーベキューに使う金串を、手の中に滑り出させた。こんな物しか持ってない。下手に武器を持ち歩くのは自制しているのだ。 ディミトリは車で送ってくれると言っていた男の髪の毛を引っ張って喉にバーベキューの串を押し当てる。 これならパッと見はナイフに見えるはず。牽制ぐらいにはなると踏んでいるのだ。 いきなり後頭部を引っ張られてしまった相手は身動きが出来なくなってしまったようだ。何より喉元に何かを突きつけられている。 兄貴と呼ばれた男と部屋に居た残りの男たちも動きを止めてしまった。「動くな……」 ディミトリが低い声で言った。優等生君の豹変ぶりに周りの男たちは呆気に取られてしまっている。 しかし、入ってきた男は懐から銃を取り出して身構えていた。ディミトリの動きに反応したようだ。「え? 兄貴の知り合いですか?」「何だコイツ……」 部屋に居た男たちはいきなりの展開に戸惑いつつ兄貴分の方を見た。「ちょ、待ってくれ!」 だが、兄貴と呼ばれた男が意外な事を言い出した。(ん? 普通はナイフを捨てろだろ……) ディミトリは妙な事を言い出した男に怪訝な表情を浮かべてしまった。「俺は王巍(ワンウェイ)だ。 日本では玉川一郎(たまがわいちろう)って名乗っているけどな……」「ああ、ジャンの手下だろ…… 倉庫で
「田口君のお兄さんが鞄を持って行ったって何で解ったんですか?」 大串の家で聞いた限りでは誰にも見られていないはずだ。だが、現に田口の家ばかりか交友関係まで把握しているのが不思議だったのだ。「防犯カメラに田口が鞄を弄っている様子が映ってるんだな」 一枚の印刷された画像を見せられた。防犯カメラと言うよりはドライブレコーダーに録画されていたらしい画像だ。 黒い革鞄と田口兄が写っている。それと車もだ。ナンバープレートも写っていた。(泥か何かで隠しておけよ……) 泥棒は車で移動する時にはワザと泥などでナンバープレートを隠しておく。防犯カメラに備えるためだ。「鞄を返せと言えば良いだけだ」「鞄の中身は何なの?」 何も知らないふりをして質問してみた。「中身はお前の知ったこっちゃない」 男はディミトリをギロリと睨みつけながら言った。「まあ、そんなに脅すなよ。 中身はそば粉と子供玩具と湧き水を容れたボトルさ」「?」 子供騙しのような嘘だとディミトリは思った。「この写真を見せながら言えよ?」 ボス格の男はそう言うと何枚かの写真を投げて寄越した。 写真には田口と田口兄。それと一組の夫婦らしき男女の写真と、小学生くらいの女の子の写真があった。田口の家族であろう。 最後は故買屋の防犯カメラ映像だ。鞄の処理の前に銅線を売りに行ったらしい。 普通の窃盗犯であれば仕事をした後は暫く鳴りを潜めるものだ。そうしないと探しに来る者がいるかも知れないのだ。(ええーーーー…… 素人かよ……) 余りの幼稚な行動にめまいがしてしまった。「そば粉なら、また買えば良いんじゃないですか?」 ディミトリは話の流れを変えようと言い募った。 窃盗した後に迂闊な行動をする馬鹿と、見張りも立てずに取引物をほったらかしにする素人など相手にしたくなかったのだ。「そば粉は別に良い。 ボトルを返せと言えば良い……」 ここで、ピンと来るモノがあった。(そば粉だと言う話は本当だろう……) 見つかった時の言い訳用だ。拳銃が玩具だというのも本当だろう。万が一、職務質問で見つかっても警察が勘違いだと思わせることが出来るはずだ。 ボス格の男が色々と蕎麦に関してのウンチクを並べているがディミトリの耳に入って来なかった。(だが、ボトルの中身は…… 麻薬リキッドだな……) ディミトリはボトル
大串の家の近所。「いいえ、別に友達ではありません……」 ディミトリは警戒して言っているのでは無い。本当に友人だとは思って居ないのだ。「でも、田口のツレの家から出てきたじゃねぇか」 男の一人が大串の家を顎で示しながら言った。 これで男たちが田口を尾行して、彼が大串の家を訪ねるのを見ていたと推測が出来た。「学校でクラスが同じなだけです……」 ちょっと、面倒事になりそうな予感がし始め、ディミトリは警戒感を顕にしていた。「ちょっと、オマエに頼みたいことが有るんだ」 男が手で合図をすると車が一台やって来た。やって来たのは白の国産車だ。 大串たちの話ではグレーのベンツだったはずだが違っていた。「ちょっと、付き合ってくれ」 開いた後部ドアを指差した。「クラスの連絡事項を伝えに来ただけで、僕は無関係ですよ?」 妙齢のお姉さんであれば喜んで乗るのが、おっさんに誘われて乗るのは御免こうむるとディミトリは思った。「田口に届け物を渡して欲しいんだよ」「それなら、おじさんたちが直接渡したらどうですか?」 ディミトリは尚もゴネながら逃げ出す方法を考えていた。「良いから。 乗れって言ってんだろ?」 ディミトリを知らないおっさんは頭を小突いた。瞬間。頭に血が上り始めた。(くっ……) だが、人通りもあって我慢する事にしたようだ。今はまだディミトリは冷静なのだ。ここで、喧嘩沙汰を起こすと警察が呼ばれてしまう。それは無用な軋轢を起こしてしまう。 それに相手は中年太りのおっさんが三人。ディミトリの敵では無い。チャンスはあると思い直したのだった。(周りに人の目が無ければ、コイツを殺せたの……) ディミトリは残念に思ったのだった。 こうして、ディミトリは大串の家から出てきた所を拉致されてしまった。 連れて行かれたのは中途半端な繁華街という感じの商店街。端っこにあるナイトクラブのような地下の店に連れ込まれた。 まだ、開店前らしく人気は無かった。その店の奥にある事務所に連れ込まれた時に、白い粉やら銃やらをこれ見よがしに置かれているのを見かけた。(ハッタリかな……) まるで無関係の奴に見せても益が無いはずだ。ならば、ハッタリを噛ませて言うことを効かせようという魂胆であろう。 ヤクザがやたら大声で威嚇するのに似ていた。「よお、坊主…… 済まないな……」